ノーカラットの考察

 

 たくやです。今回は「OO-ct. ノーカラット」の考察を行っていきます。

    この記事は298production Advent Calendar 2021 の6日目の記事です。

    5日目の記事は下記よりどうぞ。

sui-sui-ocean.hatenablog.com

 ノーカラットは2021年6月30日に実装されたSHHis初のイベントコミュであり、長さ・シナリオ・演出面ともにシャニマス最高レベルのコミュになっています。(小並感)

 今回その考察をするのはなかなか難易度の高い挑戦ではあるのですが、透・円香のコミュや「アイムベリーベリーソーリー」のような比喩マシマシのゴリゴリ難解コミュというわけではなく、しっかりと一つ一つのメタファーや対比構造、ふたりのバックグラウンドをしっかりと理解すれば考察ができるものになっています。さらに今後のシーズの展望やユニット自体やにちか・美琴のテーマについても触れられていきたいと思います。

 なお、にちか・美琴のカードコミュやその他シナリオのネタバレを含みます。できればノーカラットだけでも履修してから閲覧していただけると嬉しいです。(「ヴぇりべりいかシたサマー 七草にちか」・「間違いそうだ 七草にちか」のネタバレは含みません。文句があるのであれば、その二つのカードの内容を入れたうえで私の考察を越える考察を書いてみてください。)

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<概要>

ノーカラットは、(シャニマス全体で良く採用される表現の手法ではあるが)複数のシーンが同時に展開されることが多いです。またそのようなシーンの中には、本筋のストーリー(夏の音楽フェスティバル)にはあまり関係なくとも、比喩に富んでいたり、本筋の内容を補足していたり、シナリオやユニットのテーマにかかわる内容を示唆していたりといった、考察の対象としては重要なシーンが多くあります。

そこで今回の考察では、まず本筋のストーリーからサブストーリーを抽出して個別にみていきます。そしてその後に本筋のストーリーを追っていき、最後ににちかと美琴のキャラクター性・今後の物語の展開の予想・残った疑問などについてまとめていこうと思います。もし時間がなければ最後のほうだけを読んでいただいても大丈夫です。

<サブストーリー>                                                                                                  

1.売れない芸人

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「売れない芸人」のシーンはオープニング・第6話にあります。

序盤はただ芸人のネタを批判するだけでしたが、コンビの片方がもう片方を中華料理に誘うところからさらにその口調が強くなっていきます。すぐ後に出てきますが、過去に(遠回りではあるものの)にちかが同様に美琴を食事に誘い、それが失敗に終わったという出来事が原因になっていることが分かります。

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しかしにちかの逆恨みが怒りの原因であると安直に断言することはできません。

にちかは美琴と一緒に食事に行く「仲良し」な関係を望んでいた節があったことは読みとれます。しかし美琴はそれに気づかず次のレッスンの予定を立てようとしました。

シーズは「実力派ユニット」であり「美琴さんのユニット」であると考えているにちかはそのような美琴の行動を、「仲良し」は不要で「そのような無駄な時間を過ごすならば練習をするべきだ」という価値観の現れだと過剰に解釈し、自分にそれを強要するようになったと考えられます。にちかは、自分自身を自分の尊敬する人に近づけようとする傾向が非常に強く、それはWING編の八雲なみに対してもよく表れています。

また、このコンビを強い言葉で非難するという行動は、美琴との「仲良しユニット」を求める自分の価値観を責めるという意味もあります。

「♡まっクろはムウサぎ♡ 七草にちか」で深く言及されているのですが、にちかが強い言葉を使って他人を批判したり言い合いをしたりしている時は、その強い言葉が自己批判に繋がっていることがほとんどです。

ですからここのシーンは、売れない芸人とシーズの対比というよりはにちかが美琴の価値観を強迫的に取り入れようとして、元々の自分の価値観の中でそれにそぐわない部分(「仲良しユニット」への憧れ)を芸人に投影し、強い自己批判を行っているシーンとしてとらえるほうがより適切であると考えました。

また、その後の「売れるな」「幸せになるな」というのも自分に対して言っているということがほとんど明示されています。「今の自分は幸せになるべきではない」というような考えを持っていたということが伝わってきます。

f:id:takuya-shiny:20211206064534p:plain↑「♡まっクろはムウサぎ♡ 七草にちか」のコミュの一部

一方で第6話では、過去の自分のように「仲良しユニット」である芸人コンビに対して想いを馳せつつ、そのあり方を否定せずに決別し、「シーズ」のアイドルとして努力していくという決意の表れであると言えます。

自分の成長のために過去の自分を傷つけるのではなく、過去の自分を受け入れながら未来へ進んでいくというにちかの成長がみられるシーンであり、これこそがプロデューサーの言う「幸せになること」ではないかと考えます。

 

2.七草家での会話

「七草家での会話」のシーンは第3話にあります。

基本的にこのシーンの解釈は「売れない芸人」のシーンの解釈と同様に行うことができます。にちかはダンサーが練習に参加したことによって自分のダンスの技術がないことに対するコンプレックスが加速し、またチーム全体での疎外感を強く感じていました。そして家ではダンスの技術が全くないのにテレビに出ている「仲良しユニット」を揶揄し、「実力派ユニット」の一員としてそれらしい批判をしています。自分がシーズの一員であるのにふさわしくないと考えているにちかにとって、この行動は自分がシーズのメンバーであるということを周りに誇示して満足感を得る行動でありながらその実強い虚無感を感じさせる行動であり、自分を傷つける行動でもあります。その虚無感についてはにちかも自覚的であるからこそ自分と「シーズ」のギャップを感じ、その後に練習をしようとしていました。

また、その批判が心からの嫌悪によるものではなく、むしろ「シーズ 七草にちか」を顕示する材料になっているからこそチャンネルを変えられることを嫌がったのではないかと考えられます。

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3.美琴×はづき

美琴とはづきが会話するシーンは第4話にあります。

このシーンは特別解釈をしなければならない表現や言葉があるわけではありませんが、このシーン自体に複数の役割があるので言及しておきます。

まず、リフターの上で行うペンシルターンの練習をしている最初のシーンになっています。この後も美琴が出てくるシーンではペンシルターンの練習をしていることが多いですが、この段階では「何かを練習しているな」という程度の伏線になっています。

次に、第3話のラストの「美琴さんはどう思っているのだろう」という疑問に対する一応の答えにはなっているシーンでもあります。

そもそもノーカラット自体が主な視点はにちかになっています。美琴のモノローグはシナリオ全体で非常に少ないですし、後半で美琴の心情や本当の価値観が明らかになっていくのも、にちかと美琴が分かりあっていくということを描いた演出であると考えられます。ですから「いい妹さんだね」という美琴のセリフがにちかに対する印象のすべてを表しているとは断言できませんし、美琴は人に対する嫌悪感を口に出したがる性格ではない(もしくは嫌悪感を抱きにくい)ように思えるので解釈は難しいですが、全体を通してみても実際美琴はライブハウスであったにちかのことをそれほど気にしていないと感じました。

 美琴が相方であるにちかに求めるのは「アイドル」になることであると第6話で分かります。地道に練習を続けているにちかに対して「実力がないのに調子に乗っている」と考えて目の敵にするというのは提示されている美琴像とも食い違うように思えます。ですからこのシーンは、今までの主人公であったにちかの自己嫌悪が強い視点から一歩離れた視点からの状況を描く働きをしていると言えます。

 もう一つの役割として、後半に出てくるコマの話ではづきが美琴に共感する立場をとるということを印象付ける働きをしていると考えられます。詳細は後述します。

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4.P×にちか

プロデューサーとにちかが車のなかで会話するシーンは第4話にあります。

 にちかとプロデューサーの関係性は、ノーカラットのテーマというわけではないですが、にちかのコミュを読み解く上での重要な要素になっています。一般的には、プロデューサーがにちかにとっての親の代わりとしての役割を持つという解釈がよく言われているところです。「明るい部屋」・「♡まっクろはムウサぎ♡」で明かされたようににちかは父を亡くしており母は入院しています。であるからこそプロデューサーに対してうざがるような態度をとり、強く当たることで反抗期の代替行動をしていると考えられます。発達心理学の上でも反抗期の重要性は言われている所ですが、今回は詳細を割愛します。まとめると、にちかは一般的な青年期に起こる親・社会に対する反抗の対象がプロデューサーになっているということを理解しておけばOKです。

 さて、にちかは強い言葉を使って自分を傷つけるようなことを言う傾向があると話しましたが、このシーンではそれがよく表れています。これには、前のシーンでにちかが美琴に調子に乗っている所を見られたということへの自己嫌悪とフラストレーションがかかわっていることは言うまでもないでしょう。それに加えてにちかは、「七草家での会話」やライブハウスのシーンで分かるように、ファンや直接的にユニットにかかわらない人に対して自分がシーズの一員であることを誇示して一時的に満足する傾向があります(もちろん同時に虚無感も感じるでしょう)が、その反動のようにプロデューサーやダンサー、美琴のような、技術的な知識があり、「シーズ」のことを理解している人の前では、自分の「実力不足」をかなり卑屈にとらえ、シーズの一員として(美琴に並ぶアイドルとして)ふさわしい人間ではないということを強調します。ですからここのシーンでは今までよりも直接的に自分を傷つけていますし、そうしてプロデューサーを不快にしようとしています。

 プロデューサーはにちかの自虐的な発言を決して肯定することなくスルーしていきます。そして「どうして幸せになることから逃げるのか」という問いをぶつけます。にちかはもう十分なテクニックを獲得していて、自分を追い詰めることで死に物狂いの努力を自分に強要してきたWING編を乗り越え、アイドルとして伸び伸び活動していけるだけの自由さを手に入れたということをプロデューサーは強調しています。

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 これは個人的には事実なのではないかと思います。これはWING編の考察になってしまうのですが、にちか自身にアイドルとしての才能が他の人よりないということは事実だと思います。しかしだからと言って努力しても成長しないわけではないし、良いパフォーマンスができないというわけでもありません。ただ単にトップアイドルになるための努力の必要量が他の人よりも多いというだけです。だからこそにちかをアイドルにすることに対してプロデューサーは乗り気になれなかったし、そのことがにちかの「幸せ」につながるとは思えなかったのだと考えています。WING編でにちかは十分な技術を持つアイドルに成長しました。しかしその結果は、高い理想を掲げ続けて自分をとことん追い詰め続けた先に手に入れたものであり、その過程は決して幸せなものではありませんでした。だからプロデューサーはWING優勝後コミュで、「八雲なみ」からも「はづきとの約束」からも解放されたにちかに「幸せになってほしい」と言ったのだと考えています。

 

f:id:takuya-shiny:20211206064650p:plainしかしこのノーカラットで蓋を開けてみれば、にちかは美琴に並ぶアイドルになるためにまた自分を追い詰めていき、幸せから遠ざかっていました。これを見てプロデューサーは「にちかが幸せから逃げている」というように感じたのでしょう。

 ここでのにちかはシーズの中で相対的に自分が劣っていると考え、努力を重ねようとしています。「自分は技術的に劣っている(アイドルとしてふさわしくない)のだから、必死で努力しなければならない」と自分に言い聞かせてしまっている状態になっているのでしょう。そしてこの考え方こそがにちかを幸せから遠ざける、自分を否定して焚き付け、死に物狂いの努力を強要する考え方であるといえます。しかし絶対評価としてみればにちかは十分なスキルを持っているのだと考えられます。だから誰かがにちかを立派なアイドルとして認めてあげる必要があったのではないのでしょうか。きっとプロデューサーもそう考えてにちかを肯定したのでしょうが、その言葉はにちかには届きませんでした。にちかにとっては、技術もなくて実際にステージに立つわけでもないプロデューサーではなく、コンプレックスを刺激してくる対象であるダンサー、美琴から認めてあげることが必要だったのでしょう。そのことは「みんな(ダンサーたち)の目に映っていない、美琴さんの目に映っていない」というセリフからも分かります。

 そしてプロデューサーは、美琴は一人で踊っているなら誰かがそれを二人にしなければいけない、そしてにちかは美琴のために、美琴はにちかのために踊れるアイドルであると言います。

 にちかはその言葉の意味を理解しようとしませんでしたが、この言葉の意味は明かされたわけではありません。当然この流れからして技術的な話をしているのではないと思いますが、実際どういう意味かはただの考察の域を出ないと思われます。

5.コマの大会

「コマの大会」のシーンは第5話にあります。

 このシーンは「コマの大会」・「リハーサル」「美琴の回想」という3つのシーンが並行して展開されています。ここでは「美琴の回想」との関係性は抜きにして、「コマの大会」のシーンと本筋である「リハーサル」について言及したいと思います。

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 コマの大会を取り上げたドキュメンタリー番組が放映されているのをはづきと天井社長で見ています。その内容は女子高生チームがコマの大会に出場するという話で、順調に勝ち進んだのち本選出場の切符をかけた戦いで有名大学の工学部チームと当たります。

 この二チームが対比になっているのは言うまでもないですが、「回るコマ」と、シーズの二人が練習している「ペンシルターン」が類比になっています。もっと言うと美琴と工学部チーム、(おそらく)にちかと女子高生チームがそれぞれ類比になっています。美琴はステージを成功させることを目的にひたすらターンの練習をしてきました。かたやにちかはステージ直前にマスターしたばかりです。もちろんステージで披露するわけではないですが、二人のターンの質の差は大きかったでしょう。しかしにちかのターンは「他のダンサーと初めて打ち解けて教えてもらった」「美琴と同じことを学べた」といったドラマを背負っています。そしてそんなターンが結果として美琴を救った(かもしれない)という結果を産んだのです。

 とは言ってみたものの、正直このシーンを美琴とにちかの対比として捉えるとあまりきれいな類比にはならないですし、その後の議論のシーンもつながってこないように思えます。上でおそらくと書きましたが、美琴とにちかへの類比でありながら、美琴というアイドルが抱える問題のようなものを比喩しているものとしても捉えるべきでしょう。

 アイドルとはステージを魅せるものであり、その点でいえば高い技術を身に着け、より高度なパフォーマンスをしたアイドルがよいアイドルということになります。しかし実際に美琴は今まで実力は一番でも評価はされてきませんでした。つまりアイドルの世界とはコマの大会のような世界ではなく、「勝つための努力が一瞬の想いの輝きに消し飛ばされてしまう」ような世界であるということを強調したいのかもしれません。

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しかしそのような「アイドルの想い」の勝利の裏には理不尽な敗北を強いられた実力派のアイドルがいることにはづきは言及しています。ここではづきがシーズのような敗北を強いられた側に共感的な発言をするのは、にちかがシーズに属していることももちろんあるかもしれませんが、一人でペンシルターンの練習をする美琴(工学部チームの比喩)が努力していることを見ていた事務員であることや、そこで二人の会話があったということも伏線(というほどのものでもないですが)になっていたのかもしれません。

そしてその両者のどちらのほうを応援するかという問いに答えが出たためしはないという話を天井社長が一方的にしてこのシーンは終了となります。最後の3つのセリフは読者に投げかけたシーンともとれると思います。皆さんはどちらを応援するでしょうか。

このテーマ自体非常に含蓄に富んでいて面白いテーマであり、そのような難しく、触れられることがなかったテーマに切り込んでいくシーズと緋田美琴が非常に面白いです。

まとめると、このシーンはリハーサルの二人と対比構造を作りながら、緋田美琴とシーズのテーマを再確認するようなシーンであると総括します。またそのテーマ自体がアイドルという概念への皮肉になっていることも非常に面白いです。

6.美琴の回想

「美琴の回想」のシーンは第2話と第5話にあります。

 第2話で幼少期が回想されるシーンでは、ショッピング施設(?)を歩いている美琴が自動演奏のピアノのメンデルスゾーンを聞いていました。自動演奏だと美琴が気づいたセリフの後で回想が挟まれ、「本当に上手ねぇ……」と推定美琴のピアノが称賛されるとその直後に、美琴が自動演奏のピアノを「上手ね」と褒めてこのシーンは終わります。

 このような書き方をすると非常に分かりやすいですが、幼少期の美琴と自動演奏が類比されているのです。幼少期といっても、ここでは美琴自身と実質類比されていると言っていいでしょう。つまり美琴のパフォーマンスは自動演奏のように「上手なだけ」で無機質なものと表現されていると考えられます。そもそも美琴のテーマ自体がそれに近いものではあるといえばそうなのですが、そのことが再確認されるのもこの「ノーカラット」の特徴です。

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 さて場面は変わって第5話でも回想が挟まれます。といっても美琴が実際に回想しているわけではなさそうなので、美琴の心情とリンクしているわけではないのでそこには注意しなくてはいけません。また、直前の「コマの大会」のシーンとも深い関係があるのでその関連性についても説明していきます。

 「女子高生チームのコマはよく回った」というセリフの次に亡くなった飼い猫のミャオのためにピアノを弾く生徒のセリフが入り、「有名大学の工学部チームが立ちはだかる」というセリフの後にピアノ生徒の保護者が「緋田さんはいつもお上手だから」と話すセリフが入ります。いうまでもなく女子高生チームと有名大学の工学部チームがそれぞれ「ミャオのために演奏した生徒」と美琴に類比されています。コマの大会では「有名大学の工学部チーム」が勝利しましたが、こちらでは「ミャオのために演奏した生徒」のほうが最優秀賞を獲得しています。この展開が社長のセリフとリンクして非常に引き込まれるシーンとなっています。

 この幼少期の出来事も「勝つための努力が一瞬の想いの輝きに消し飛ばされてしまう」例の一つであり、加えて美琴自身がそのような場面で敗北してしまうということも表されています。このシーンの対比構造や比喩表現は分かりやすいですが非常にうまくできているように感じられます。

7.奈落

「美琴の回想」のシーンはオープニングとエンディングにあります。

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「ノーカラット」は「奈落」で始まり「奈落」で終わるという構成をしています。ですからいうまでもなく重要なテーマであるはずなのですが、正直言ってあまりにこのシーンだけ独立しすぎているので100%あっている考察するのは難しいです。とりあえず1解釈として見ていただきたいです。

まず「奈落」という言葉の意味についてですが、舞台の床下にあるスペースを指すそうです。そこからキャストやら大道具やらが出てくるのを見たことがある人も多いのではないでしょうか。

にちかはその奈落を「客席のざわめきを一番感じる場所」と表現し、美琴は「見上げる場所、始める場所」と表現しています。

にちかの表現については、まあ割と普遍的に感じる文言であると思います。その普通さをにちからしいという解釈をすることもできますが、にちかに「普通の女の子」というキャラ付けをするのはあまり好きではないので棄却します。にちかは周囲の目を強く気にする傾向が強いです。思春期の高校一年生ですから、自分がどう思われているかについて過剰に敏感になる年ごろでしょう。美琴からどう思われるかをノーカラットでは終始気にしていますし、プロデューサーには傍若無人にふるまっていますがホームユニットの会話などでは割と空気を読んでいるシーンが多いです。加えて「CDショップの店員」という経歴を持つということもあり、ファンの視点や批評をする側を明確に持っているのも特徴の一つでしょう。この2点が考察として考えられるものだと思います。

美琴の場合は比較的分かりやすく、ステージ自体を憧れの存在と考えている視点やパフォーマンスに全力を注いでいることからステージ以前の練習の段階ではまだ始まっていなという「ステージ」を明確に意識した分になっています。

そしてにちかは「ここを上がったら、一人になる」と、美琴は「ここを上がった時のために、全てがある」と続けます。

にちかの場合はパフォーマンス面で美琴に劣っていることやファン出身の新人であるからこその不安感が表れています。この不安感はひとつ前のセリフの「ステージのざわめきを…」でも表れているかもしれませんね。美琴の場合はやはり「ステージ」を強く意識した表現になっているという点に尽きます。美琴自身が「いいステージを創る」ということをもはや狂気的にさえ求め続けているというのがシナリオ全体から読み取れる印象的な点であり、そこが明確に表れていると思えます。

エンディングの一回目の「奈落」のくだりでは、美琴は前回と一貫して言うことは変わらず、にちかはその美琴に対して劣等感のない、純粋な憧れを抱いてそのセリフを追いかけています。シーズの二人が分かりあえたということが印象的に表れるシーンですが、二回目のくだりで結局二人の関係性は最初から成長していない、結局戻ってしまったということが表現されていると感じました。

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ちなみに聞き比べてみましたが、「奈落」関連の全てのセリフは、フレーズは同じでも微妙なトーンの違いがあったので録音し直していると思われます。

<メインストーリー>

ではここからメインストーリーの解説をしていきます。といってもそれと並行するストーリーや比喩は一通り上で説明し終えたので、手短にストーリーを振り返るというような雰囲気で行っていきます。

1.オープニング Ⅰ

奈落の話が終わり、芸人のくだりが始まりますが、にちかは美琴に対して中華屋さんのクーポンを提示することで遠回しに食事に誘いますが、それに気づかず美琴は断ります。正直サポートカードの雰囲気を見る限りはそこまで関係が悪いようには見えませんが、出会ったころはよく話していたということが言及されていたので、サポートカードの時はまだお互いを分かり始めた最初期段階であり、「ノーカラット」のWING優勝後の時間軸では最低限お互いについて分かったので二人の会話が少ないのではないかと考えられます。また、にちかはWING中アイドルを辞めるかもしれなかったわけで、そういう意味でコンビの美琴と関係性を構築するような余裕が出てきたということもあるでしょう。

既に上記で書きましたが、美琴とにちかの温度差や周りからのシーズへの評価と自己評価のギャップなどににちかが苦しんでいる段階です。

2.第一話 Ⅱ

シーズの二人がテレビ番組にでているシーンから始まります。にちかはここでも美琴の判断を伺っていますが、本人はそのような露出に面白みは感じておらず飽き飽きとしている様子です。美琴のほうはステージの告知をする点を考えて出演しますが、それに気を抜くことはありません。ですがその出番ではスポーツ選手のような真面目な受け答えをし、ディレクターは今後の起用に難色を示していました。

 この章では美琴(シーズ)のステージ至上主義のようなものがよく表れていて、にちかにはその美琴への憧れや邪魔をできないというプレッシャーが表現されています。ですがその姿勢自体はTV業界に受け入れられるものではありません。ここで美琴WINGのテーマが想起されるでしょう。そもそもシーズがどういうユニットなのかもあまりシナリオでは触れられてこなかった内容でしたが、美琴の要素を強く受け継いだユニットであることが初めて分かります。

3.第二話 Ⅲ

二人のステージにダンサーが付くという提案がされます。にちかは自分の実力を理解している分返事に詰まりますが、美琴に従ってOKします。そして実際にダンサーが来てみるとやはり自分との知識量や技術の差を感じ強い劣等感を抱きます。それを自宅でテレビ相手に発散しましたが、その裏で強い虚無感も同時に感じ、一人で練習を始めました。

 シーズとして求められている実力とにちかの実力がかけ離れているという風ににちかが感じ、非常に鬱屈とした話になっています。この辺りは上でも散々触れたのであまり書くことはありません。シーズと自分のギャップに苦しむにちかと一人で黙々と練習に励む美琴がよい対比になっています。

4.第三話 Ⅳ

にちかは引き続きダンサーに劣等感を刺激され続けたためにあまりバイトにも身が入っていません。そのためバイト先の先輩にライブに誘われました。一方美琴は音楽関係の意識高い系の人と一緒に同じライブに参加していました。にちかが周りに煽られシーズに乾杯していた時にそれを美琴に見られてしまいます。にちかは自分をシーズの足手まといだと考えているので、そんな足手まといがシーズの看板を使ってちやほやされるのを美琴に見られて自分に絶望したといっても過言じゃないでしょう。

にちかはこのシーンでも自分の実力不足に心を病み、ライブハウスでそれを発散しようとしていました。モノローグや回想と現実の会話が交互に差し込まれることで、にちかの心ここにあらずといった様子が効果的に表現されています。このようなサウンドノベル的な表現がシャニマスは上手だなぁと感心してしまいます。

 一方美琴は意識高い系の音楽業界の知り合いと話をしていますが身の上話にはあまり興味がなさそうで、さらにそのストイックさを評価されています。そのような集まりの中でも美琴は異彩を放っているということが分かります。そんな中でも、自分の姿勢に疑問を持つ場面が度々出てきていて、同年代だったり似た状況だったりする相手が出てきたことで客観的に自分を観察しての発言が多いのも珍しいと思います。

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 このシーンはかたや音楽の業界人と勉強もかねてライブハウスに来た美琴と、かたや一観客としてライブに熱狂するにちかとが対比になっていたところでその二人がばったり出会うという綺麗な構図をしていますが、にちかの視点では最悪の状況といわざるをえないでしょうし、美琴は完全にそれをスルーします(別ににちかに失望したからというわけでも無さそうですが)。

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5.第四話 Ⅴ

 リフターの使用を美琴に提案するシーンから始まります。前シーンのことをいつまでも気にするにちかと対照的に美琴は全く気にしていない様子です。その後美琴がはづきと話をするシーンでにちかとのエピソードが紹介され、プロデューサーとにちかの車内での会話でシーズの二人へのプロデューサーの想いやにちかへの問いかけなどが行われます。後半の二つに関してはすでに言及済みなのでそちらを参照してください。その後倉庫で一人練習する美琴を見かけますが、にちかは声をかけることは出来ませんでした。

 この章では完全に美琴とにちかが分離されていて、二人のすれ違いというものがよく表れているように思えます。また、ここから美琴がペンシルターンを練習するシーンが随所に挟まれるようになります。にちかがそれを複数回目撃することが次の章に繋がっています。短いですが、既に言及していることが多いパートなのでこれくらいで締めます。

6.第五話 Ⅵ

この章はにちかが一人でペンシルターンをしているシーンから始まり、ダンサーの一人から教わることでペンシルターンをマスターします。リハーサルが始まり、リフターを試してみるタイミングになっても美琴がペンシルターンの練習をしていることににちかは気づき、リフターの上で美琴が踊ろうとしていることを見抜きます。しかしその時にはもうリハーサルは止まらず、声も美琴や監督に届きませんでした。そんなにちかは気が動転したのか自分もペンシルターンをしましたが、落下してしまいました。そんなにちかを見て美琴が初めて「にちかちゃん」と名前を呼びます。

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この章は怒涛の展開であっという間に終わってしまうように感じられました。まずにちかとダンサーという対立さえしていた両者が打ち解けるシーンがあり、今までとは少し違うような雰囲気が感じ取れます。リハーサルではにちかが美琴の意図に気づくとメンデルスゾーンが流れ始めます。上に書きましたが、自動演奏と美琴が類比されているシーンがあるので、自動演奏されていたメンデルスゾーンの「情熱」が美琴のテーマソングというか、美琴の曲のように扱われているのも印象的です。機械のようにステージの質の向上を求める美琴の姿を表しているのかもしれません。そして曲調に合わせるようにしてにちかは慌てはじめ、自分も回転するという暴挙に出ます。そして美琴が自分を見ていることに嬉しそうに反応します。ライブハウスで二人が会ってからここまで二人が会話するシーンも会っているシーンもなく、このシーンで二人の目が合ったことがより印象的になっています。また、にちかは第三話のラストで美琴に実質無視されて以来「美琴の目に自分がうつっていない」ということを強く感じていたのだと考えられます。どういう形であれ美琴の目に映ることができたことが嬉しいということでしょうか。

7.第六話 Ⅶ

この章はにちかと美琴がタクシーに乗っているシーンから始まります。その回想という形で二人が中断された自主レッスンの続きとしてスタジオに向かっているということが明かされます。そしてスタジオについた後は練習やお互いのアイドルについての考え方やステージへの向き合い方について話し続けました。にちかが美琴と打ち解けることができているという喜びを感じたり美琴への悩みの相談をしたりして、にちかはアイドルとしての決意を強めました。それと並行して事務所ではプロデューサーがはづきににちかをケガさせかけたことを報告していました。最後にはシーズの二人には人生で大切なものを見つけてもらうという宣言をプロデューサーがしました。

まずタクシーの中のシーンでは今までの雰囲気や息苦しさがなかったかのように他愛もない会話が繰り広げられ、ゆっくりとした時間が流れていました。これは二人の関係性の変化がはっきりと表現されています。美琴にとっては何がきっかけで打ち解けられたのかは分かりませんが、多分むしろにちかの方が「美琴に見てもらえた」と感じたことをきっかけにある程度の積極性を持てるようになったということが理由ではないかと思われます。

スタジオについてからの会話も重要なものが多いです。練習後に美琴から水をもらうとにちかは感動して過去のやり取りを思わず想起しました。しかし冷静に考えるとこれは関係性の変化というよりは、練習後の水分補給のときに美琴の方がが勝手知っているスタジオであるのでにちかに水を出しただけであり、劇的な変化とは到底呼べないものだと考えられます。ただそれによってにちかのほうにさらに積極性が表れています。倉庫で練習をのぞき見したのを隠さず話すこともできました。そしてその後は美琴に促されてにちかが「ホーム・スイート・ホーム(埴生の宿)」を弾きます。そしてそこから幼少期のにちかの思い出や、なぜアイドルにここまで執着するのかというWING編からの疑問への回答も確認できます。にちかの父はすでに亡くなり、母も入院生活をしている現状のにちかにとっては家族の中のアイドルだった頃の思い出は非常に美しく輝くものだったのでしょう。そのような尊い日々のキーワードが彼女にとってはアイドルであったわけです。

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しかし実際にアイドルを目指すと迷うことだらけで、それから目を背けるために必死で努力をしていたらどうすればいいかわからなくなってしまったと、車内でプロデューサーと会話したシーンからの中心的な問題について美琴に吐露しました。この疑問自体はまさに美琴が抱いているものと同じものだと考えられます。24歳というアイドルとしては若くない年齢になり、今まで実力は評価されてきたものの人気は出ず、アイドルとしての袋小路にいるというのがWING編までの美琴の状況でした。そしてその疑問への答えは、美琴にとってはひたすらに練習することだったのです。つまり状況だけ見ればにちかと全く変わらず、自分に現れた不安を練習量で押しつぶすことで忘れようとしていただけだったのです。ですから美琴がにちかにできるアドバイスは「練習するしかない」ということでした。

そして、「アイドルじゃないと思ったらもうアイドルじゃない」「アイドルになれない人とは私は組めない」とにちかにはっきりと言ってみせます。この言葉自体は個人的には話の結末としては意外でした。プロデューサーが望むような、にちかにとっての幸せとはこのようなことだったのでしょうか。美琴のアドバイス自体は「不安を感じないようになるまで練習をして実力をつけろ」ということで、にちかを明確に救ったわけでも「幸せ」を示したわけでもありません。つまり「無理ならやめろ」と優しく突き放したというわけですね。この行動自体が一般的な「物語」としては珍しいように感じました。本当にそれがにちかを救う言葉かは分かりませんがそのような道もまた一つの選択であり、それを言われたにちかも重圧に負けることなく決心を固めた様子で返事をしています。「売れない芸人」のところでも少し言及しましたが、その後のシーンでは、楽しく活動をしようとする自分に決別し、美琴のようにストイックで自分を追い詰めさえするような努力をしていくということを決心したのです。そしてなによりそんな「盲目的な努力をしようとする自分を肯定することができた」ということがこの章の、そしてここまでの「ノーカラット」の意義だったと言えるでしょう。

はづきとプロデューサーのシーンでは、はづきが保護者としてすごく心配であること、にちかが夢を諦めた後でもずっと生きていかなくてはいけないということが言われます。それに対しプロデューサーは、「ずっと生きていくために必要なものを見つけてみせる」と言います。正直アイドル育成ゲームで語られるべき内容かどうかは難しいですが、自分はこれこそがシーズのテーマであると声を大にして言いたいと思います。少し上記したことともかぶってきますが、作中でプロデューサーはアイドルたちが幸せになるということを意識した行動が非常に多いように思います。それは事務所の都合やアイドルとしての活躍を度外視した行動にもつながっており、多くのストーリーでそれを見ることができます。それが特に表れているのはそもそもアイドルに向いてはいないというテーマのシーズであり、二人の最終的なゴールは「アイドルとして成功する」というよりは「幸せになる」ということであると自分は感じています。

f:id:takuya-shiny:20211206064936p:plain8.エンディング 0 0

この章はにちかのアイデアで夏の音楽フェスが成功したということが伝えられ、それに対してルカが大変な嫉妬(?)をするというシーンから始まります。その後は二人で一緒に事務所に向かいながらピアノで「ホーム・スイート・ホーム」を弾くという二人の協調を象徴するようなシーンが挟まれたものの、最後にはにちかが様々な番組からオファーを受け、二人はすれ違っていくというようなことがほのめかされる終わりとなっています。

まず斑鳩ルカについてですが、現状情報が非常に少なすぎて妄想の域を出ないので今回は言及を避けたいと思います。

音楽フェスが成功したことについては、にちかが初めてアイデアをだしてそれが美琴にも認められ、素晴らしいステージにつながったということで、シーズが二人で協力していいステージを創ろうとする新たなユニットの形が示された一瞬だったと思います。また「誰かが二人にする」というプロデューサーのセリフの回収にもなっています。またそのような内容は次のシーンにもつながっていて、二人で事務所に向かう最中に自動演奏のピアノを見つけ、美琴は自動演奏のように完璧に弾いて見せますがそれでは人の心を動かせるか分からないといい、「ホーム・スイート・ホーム」を二人で弾きました。美琴にとってのここでのテーマソングが「メンデルスゾーン(情熱)」なのだとしたら、にちかのテーマソングは「ホーム・スイート・ホーム」であり、二曲は対比になっています。また、にちかの家族との温かい思い出のこもったこの曲を美琴が、そして二人で笑いながら弾くということは正ににちかの幸せのプレイバックであり、前話では果たせなかったアイドルとしての幸せではない幸せさえもにちかは取り戻せるのかもしれないということさえ暗喩されたシーンでした。

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しかしそう甘くはありませんでした。結局美琴の視点で考えると自身が抱えていた問題を何一つ解消していなかったのです。珍しい美琴のモノローグでは「見たことがある」とだけ言われ、ルカも同じようにしてすれ違いを起こしてきたのだということが暗に示されます。現在美琴とルカが解散していることを考えると、シーズも同じ道をたどるのではないかという不安が掻き立てられる形で「ノーカラット」は終了になります。この章は特に演出面で力が入っていて、最後のシーンなんかはアニメを見ているかのような錯覚さえ覚えてしまいます。結局二人は一歩進んで二歩下がるような状態が続いてしまっていて、今後のストーリー展開を待つのみになっています。

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<シーズの今後>

最後にシーズの今後について簡単に予想していきます。

 今回のシナリオは、主ににちかの視点で進んでいきました。もちろんだからと言って美琴についての話がなかったかと言われるとそうではなく、暗喩や少ないモノローグから美琴の境遇や心がある程度表現されていました。しかし今回の話はどちらかと言えばにちかの話だったと言えるでしょう。ですから次のイベントシナリオは美琴に視点かスポットがあてられるものだと考えられます。

 美琴が抱える問題はWING編で挙げられていますが、まだ言及はされていない問題があります。それは「他人の視点」が圧倒的に欠如していることです。それは作中でも他の人とずれているという形で何度も表現されてきています。そしてその問題を言い換えると観客の視点が足りていないということが言えます。他人の視点とずれているというだけならまだしも観客の視点も持てないというのはアイドルとしていささか致命的な問題にはなりえないでしょうか。

 そのような致命的な問題になりそうな根拠はいくつかあり、主にリフターのシーンの話ですが、プロデューサーと二人で話している時には「お客さんと同じ目線に立つ」という演出の意図をくみ取ることができていませんでした。また、作中でのセリフを見てみると「ステージを創る」「感動も、納得もできない」というように、良いステージを創るという点まで言及されても、その結果観客を喜ばせるというところまで言及しているシーンは決して多くありません。美琴の現在の境遇を考えると、今まであまりステージに上がる機会はなく、その上で血のにじむような練習を重ねる必要があったと考えられます。そうなるとそれはもはやアイドルという存在への意地ともいえる執着が必要だったでしょう。そうしてひたすら孤独に最高のステージを希求していくうちに、ステージが「皆に感動を与える」ためのものから「自分を納得させる」ものへと変化していったのではないかと考察できます。

 そして「奈落」で少し言及したようにその観客の視点を持っているのは他でもないにちか自身であり、そこを補う形で再び「シーズを二人にする」というシナリオが来るのではないかと予想します。

<まとめ>

今回は「ノーカラット」の考察をしていきましたがいかがでしたでしょうか。

慣れない考察でしたのであまり何を書いたか覚えていませんが、自分の満足いく文章にはなったと思います。ただ感謝祭の内容に言及できなかったのは心残りです。

現在12月6日の6時38分ですので、今から急いで投稿しようと思います。ここまで読んでいただいた方はどうもありがとうございました。