「友情・努力・勝利」から考える追加ユニットと,その初回イベコミュの「お話」としての異質さ

 こんにちは,たくや(AI2回行動)です。

 

この記事は298production Advent Calendar 2022の3日目の記事です。

298production Advent Calendar 2022 - Adventar

 

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私の持ち武器は現環境最恐武器,スパイガジェットです。

 

 

 さて,今回は私が前々から温めていた一つの気づきを記事にしようと思います。

 

 始めに

 

 皆さんは「友情・努力・勝利」という言葉をご存知でしょうか?

 この言葉は,主に少年漫画における王道の展開を標語にしたものですね。

 例えば「ナメック星に向かう船内でパワーアップを果たした悟空(努力)が」,「仲間のクリリンの死をきっかけにして覚醒し(友情)」,「フリーザに勝利する(勝利)」というのは典型的な「友情・努力・勝利」の展開だと言えます。

 もちろん近年になってフィクション作品の展開は多様化の一途をたどり,現在ではこの標語がそこまで声高に叫ばれることは多くありません。

 ですが結局のところ「友情・努力・勝利」という要素を完全に排除して作品を作るのはもはや不可能ですし,「熱い友情が芽生える」「修行して手に入れた圧倒的な力を見せる」「宿敵や悪役を倒す」といったシーンは我々の心を強く動かします。ですから未だにこの標語はフィクションにおいて重要視されているのではないでしょうか。

 もちろんこれはアイドルのストーリーにおいても例外ではありません。「ユニットやアイドル仲間との友情」「いいステージをつくるためのレッスンや創意工夫」そして「ライブ大成功!」というような展開はまさに古き良き王道の展開なのではないでしょうか。

 

 そのような視点でシャニマスの追加ユニット「Straylight」「noctchill」「SHHis」の三ユニットの初回イベントコミュ「Straylight.run」「天塵」「OO-ct. ───ノー・カラット」を考えると,それぞれのイベントコミュにおいて,「友情」「努力」「勝利」の一要素が欠如しているということに気が付きましたので,この場で共有・解説したいと思います。

 また,よくシャニマスでのイベントシナリオは色々な形で「他のアイドルゲームとは違う」という風に言われることが多いです。この知見はそのように我々が感じることの説明要因の一つともなると考えています。

 

 「Straylight.run」

【なるんじゃん?】和泉愛依

 「Straylight.run」はストレイライト結成のコミュであり,非常に良いコミュですので,まだ読んでいない方がいればぜひ読んでください。

 さて,この話では,主にあさひと冬優子の対比・対立を中心に展開していきます。

 自分を愛してもらうため,彼女の理想の女の子「ふゆ」を追い求める冬優子と,自分の好奇心に任せて自然体で振る舞い,それでも愛してもらえるあさひが対比され,話は「海辺のアイドルバトル」で最終話を迎えます。

 ここであさひは,採点のおかしさを把握するために前のアイドルのダンスを完全にコピーしてパフォーマンスをしますが,そのような破天荒な行動は観客から評価されません。そして冬優子があさひと愛依のことを呼び捨てで呼び,プロデューサーと話すときのような強気な口調で「アイドルが戦うってのがどういうことか,見せてやる」と二人に言い放ちます。

 さて,ここのシーンを整理してみましょう。

 今まで冬優子よりも評価されてきたあさひが,その「純粋さ」のようなものが評価されない環境に直面します。一方で愛されるための努力を欠かさず,どうすれば高く評価されるかを考えることが出来る冬優子はこのような場に向いています。つまり,今まで評価されてこなかった彼女の「努力」が発揮されるシチュエーションが整ったわけです。

 また,冬優子が二人の前で「ふゆ」でいるのを止めて今まで隠してきた側面を二人に見せ,あさひに今まで隠してきた思いをぶつけます。これは「あんな子とユニット組むならひとりでやった方が絶対にマシ……!」と言って本音を隠してきた冬優子が二人をユニットの仲間として認めたという熱い「友情」のシーンであるともいえます。

 しかし,エンディングで冬優子は他のアイドルに敗北します。これは「勝利」の欠如です。先ほどの例で言うなら,「ナメック星に修行の末着いた悟空がクリリンの死で超サイヤ人になるものの,普通にフリーザにやられる」というような展開になっています。これは「王道」のフィクションのオチからは少し外れています。普通の展開であれば,ここで観客が冬優子のパフォーマンスに魅了されるなりスポンサーの悪事が明るみに出されるなりの形でストレイライトが勝利する,というのは「友情・努力・勝利」のマニュアル通りの展開だと言えるでしょう。

 しかしここであえてその「王道」から外すことによってシナリオ全体に「わびさび」のような読後感を与え,いい効果を生んでいるように思えます。ここにこのシナリオの異質さが存在しているでしょう。

 

「天塵」

【游魚】樋口円香

 さて,次は「天塵」の話をしていきます。

 今回はもう先に述べてしまいますが,「天塵」においては話全体として「努力」の欠如が起きています。

 もちろん彼女たちは「練習をしていない」というわけではありません。序盤にもユニット全体で練習をしていますし,小糸や円香は自主練習をするシーンもあります。しかし,その行動は他のユニットのものとは異なって明確な目標や意思が存在していません。嚙み砕いて言うなら,「何となくやっている」練習であるということです。

 その理由の一つに,ノクチルというユニットは「アイドルに対する動機がない」という点があります。 (もっとも今はそれの芽生えが描かれているのですが…)

イベントシナリオ「海へ出るつもりじゃなかったし」より引用

 プロデューサーなら自分の人生を変えてくれるかもしれないと感じた透,走り出した透に着いてきた円香と雛菜と小糸,この4人の行動理念や目的は,アイドル活動と結びついてはいません。もっと言うなら,彼女たちはアイドルになりたくてアイドルになったわけではないのです。

 そのような「なんとなく」の練習は「友情・努力・勝利」で言われるような「努力」とは一線を画します。だからこそ彼女たちは躊躇いなく自分たちのパフォーマンスの場を壊しますし,自分たちのステージが誰にも見られていなくても気にせず海に飛び込んでいきます。それは,彼女たちに「目的のために費やしてきた時間や思い(=努力)」がなかったからです。そしてそのような姿やシナリオの構成は,「友情・努力・勝利」を旨としていた従来のアイドルストーリーから考えるとまさに異質ですし,実装当初はいい意味でも悪い意味でも話題を呼んでいましたね。

 

 「OO-ct.  ──ノー・カラット」

【RESONANCE】緋田美琴

 最後に「ノー・カラット」の話をしていきます。

 ここまでの流れから分かる通り,SHHisには「友情」の欠如が起きています。モノラル・ダイアローグスを踏まえた言い方をするなら「対話」が欠如していると言った方が適切でしょうか。

 シナリオの前半では,にちかは美琴から関心を得られていない(認めてもらえていない)ことに苦悩します。

 ノーカラットの話を掘り下げるとこれまた長くなるのである程度で抑えますが,「アイドルに仲良しごっこはいらない」「パフォーマンスを磨くことだけを考える」「いいステージを創るためなら危険なことでも厭わない(リフターの上でペンシルターン)」というような美琴の姿は,「アイドル」としての絶対的な正しさを持っています。

 だからこそ,にちかはそんな理想的な「アイドル」である美琴に認めてもらえないことに苦しみますし,自分の意見を言うことが出来ません。

 そんなにちかが美琴のパフォーマンスに意見したといえる初めてシーンこそが,リハーサルでリフターから落下したシーンなのです。ここで初めてにちかは美琴にユニットの仲間として意見を(言葉では出てこなかったが行動で)伝え,アイドルとして対等な目線に立ったころで,美琴の目ににちかが映ったのです。

 そしてその後,にちかと美琴は二人でレッスンを始め,対話を始めます。

 それが終わって,「アイドルとして高みを目指し続ける」という目標を再確認したのちににちかは「仲良しとか,いらないから」と言います。

 確かにここでは「仲良しがいらない」とは言っていますが,実際のところここのシーンでは二人の間に「友情」が生まれたと言えると思います。

 ここで,「友情」という言葉について確認しておきたいのですが,必ずしも「仲良し」であるということが「友情」の条件とは限りません。例えばバトル漫画では,敵同士で殺し合いをしていたとしてもお互いのことを認め合うというような関係性は良くあります。

 つまり,フィクションで感情を動かすような「友情」とは,純粋な仲の良さではなく,「互いにに向けられている感情の大きさや関心の程度」のことを指すのではないかと私は思います。 

 その点では,ここで美琴がにちかのことをユニットのメンバーとして認め,一緒ににちかの思い出の曲である「ホーム・スイート・ホーム」を弾くというのは,十分に「友情」のシーンであると言えます。

 しかしここで終わらないのがノー・カラットです。最後のシーンでにちかにばかりバラエティーの仕事が集中し,二人の立場やアイドルとしての仕事や忙しさは乖離していくことが示唆されます。最後のセリフで美琴は「ここを上がった時のために,すべてがある」と言い,にちかは「ここをあがったら,一人になる」と言います。これはノーカラットの一番最初のシーンと同じセリフであり,そのセリフをもう一度最後に繰り返すことで,結局二人は何も変わってないし,その価値観はずれたまま,二人はすれ違いを続けるということを暗示しています。

 ここで二人がアイドルとして向かうところを一つにし,これから頑張っていくぞ!というようなシナリオであれば,むしろそれは,「友情」を手に入れるという,王道のストーリーになってしまいます。最後に「友情」の喪失を示した点にこそ,ノーカラットのストーリーの異質さが表れているでしょう。

 

まとめ

 シャニマスのシナリオが「普通のアイドルゲームのシナリオとは違う!」というようなことはよく言われています。それがどのように違うのかということを,今回は「友情・努力・勝利」という王道の三要素から逆説的に考えることで示せたのではないかと思います。

 追加された三つのユニットがちょうど「友情・努力・勝利」に対応していることを考えると,もしかするとユニットデザインの時点で考えられていたのかもしれないですね。

 かなり面白い発見が出来たのではないかと考えています。最後までご覧いただきありがとうございました。